インディ・ジョーンズ・アドベンチャー製作の歴史

ディズニーパークには映画を原作にしたアトラクションとオリジナルのアトラクションの2種類があります。そして東京ディズニーシーは世界的に見てもオリジナルのものの比重が高いパーク。そんな中で開園当初からあり、なおかつ映画が元のアトラクション、今回のアトラクション製作秘話紹介は「インディ・ジョーンズ・アドベンチャー:クリスタルスカルの魔宮」です。

インディ・ジョーンズは1981年に始まった人気映画シリーズ。1作目は「レイダース/失われたアーク《聖櫃》」という名で公開され、決してシリーズ化を狙ったものでは無かったものの大ヒットにより人気の映画シリーズとなりました。しかし今でこそルーカスフィルム買収によりディズニーが権利を持つようになりましたが、公開当時やシーの開業時ではディズニーとは何の関係も無い映画でした。ではなぜその映画がディズニーパークにやって来たのでしょうか?答えはこのおじさんにあります。

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彼の名はマイケル・アイズナー、1984年から2005年までディズニー社のCEOだった人物です。彼がCEOとなった80年代前半のディズニー社は現在とはかなり違った様子でした。アニメはヒット作に恵まれず1989年の「リトル・マーメイド」の登場までは暗黒期と呼ばれる不遇の時代、テーマパークもウォルトが考えるような夢に溢れて皆が乗りたいと思うようなアトラクションを作り出せていませんでした。つまり会社全体がウォルトロスから抜け出せず、ウォルトと同じくらいのカリスマ性を持つ人物を欲していたのです。

アイズナーは元々パラマウント映画の会長をしており、そこで会社の業績を一気に上げたところディズニー社から引き抜かれました。そんな彼がパラマウント在職中にプロデュースした映画は例えば「ビバリーヒルズ・コップ」や「スタートレック」、そして「レイダース」。話の流れ、見えて来ました?

彼はディズニーパークに新たなやり方を提示しました。それは、比較的大人向けの映画を題材にしたアトラクションを作ること。そしてその映画はディズニー映画である必要はないと。そしてディズニーアニメが低迷している頃に映画をヒットへ何度も導いていた人物がいました。それこそスター・ウォーズとインディの生みの親、ジョージ・ルーカスでした。

ルーカスはレイダースの製作の時にアイズナーと親交があり、なおかつディズニーランドのファン。アトラクション計画の話はあっという間に進んでいきました。非ディズニー作品のアトラクションを作る、初めての試みだったものの1987年にオープンした「スター・ツアーズ」はまさしく大成功、狙い通りディズニーパークの起爆剤となりました。

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さあ次はインディの番です。1989年、「インディ・ジョーンズ:エピック・スタント・スペクタキュラー!」という名のショーをフロリダで開催して成功を収めたため、インディのアトラクション化にはとても強い自信を持っていました。だから夢は大きく、アトラクションにとどまらず一つのエリアを作っちゃえばいいじゃないか!そうして開業を控えるユーロディズニーランド(現・ディズニーランド・パリ)とカリフォルニアのディズニーランドにインディのエリアを作る計画を立てます。その計画の中にはジープで魔宮を巡るもの、トロッコを模したコースター、そしてジャングルクルーズの完全リニューアルなど様々な要素を含む画期的なものだったそう。計画は順調に進んでいました。あの日までは...。

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1992年4月12日、ユーロディズニーランドが開業するとディズニー社の人々が予想もしていなかったことが起きました。驚くほどに人が来なかったのです。まあもちろんそこら辺の遊園地よりは遥かに多くの人が来ているものの、目標を高くしすぎたためにそれに釣り合う来園者数ではありませんでした。

パリのパークは当時では最大の投資額、面積を持ち、細部までこだわって作り込まれた非常に美しいパークです。だからこそ、その作りこむのに掛かった金額は、中途半端な来園者数でカバーできるものでは無かったのです。実際に行ってみると分かるけれど、入り口の迂回路であるアーケードや城の地下など普通は通らないような場所が異常なほどにこだわって作られていて、要は調子に乗って作るのにこだわりすぎちゃったと。だからとっても美しいパリのパーク、みんな是非行って赤字を回避させてあげてください。

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さあ話を戻そう。パリでディズニーパーク初の大きな失敗をしたアイズナー達ディズニー社は、その反動でパリの真逆のことをし始めます。つまり予算を削り、あまり手の込んだことはしないと。ディズニーパーク初の暗黒期の始まりです。既にある回転が悪かったり人気が落ちたアトラクションが大量にクローズし、新たなパーク(アニマル・キングダムやカリフォルニア第2パークなど)計画の規模縮小、そして既にあるパークの計画はほとんどが破棄されます。インディエリアの将来も本気で危ぶまれたものの、かろうじて全滅することはありませんでした。それがパリにオープンした「危難の魔宮」という名のローラーコースター、そしてカリフォルニアにオープンした「インディ・ジョーンズ・アドベンチャー:禁断の瞳の魔宮」でした。

さて、パリの失敗によるコストカットの影響を唯一受けなかったパークがあります。それこそが東京。運営会社のオリエンタルランドはディズニー社とは独立した会社で、パリの失敗を気にすることなく独自に第2パークとなる東京ディズニーシーを作れたのです。彼らはテーマパーク建設の時にケチるのは良くないと分かっており、同じ年に開業したディズニー・カリフォルニア・アドベンチャーの3倍にもなるほどの建設費を投入し、実際の来園者数も倍近い差が出来ました。

そんなシーを構成する7つのテーマポートの中の一つであるロストリバーデルタ、これは失われた計画であるインディエリアとなるのです。インディのアトラクションの隣には2004年開業の「レイジングスピリッツ」がありますが、これはパリにあるインディテーマのコースター「危難の魔宮」の完全なコピー。(ただしパリは美しいジャングルの自然が見えるのに対して、東京ではオフィシャルホテルと駐車場が良く見える)

そしてインディの飛行機C-3POが不時着しており、なんならインディ本人がエリアをウロついている。これはまさしくインディエリアと言ってもいいのでは!?

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こうして紆余曲折を経てようやく実現したインディのアトラクション。もちろん生半可なものでは終われません。インディの世界のようなスリルあふれる冒険をするには説得力のある世界観や技術が必要です。そこで当時開発していたEnhanced Motion Vehicle (EMV)という技術を使い、全く新しいジープを作りました。これは中央のレールに沿って進む時に曲がったり加速したりすると、座席ごと大きく傾かせるというもの。これによって決して速く動いてなくても猛スピードで進んでいるような感覚を味わえるのです。

さらにインディの映画の中で印象的なのが、超自然的な力が起きる遺跡の数々。特にレイダースの冒頭数分のシーンは、映画が始まって間もないのにドキドキさせてこの後どうなってしまうのだろうと観客を驚かせました。要はつまり心臓に悪いと。じゃあアトラクションの要素もそこを使うしかないよね!と言うことで、印象的な巨大な転がる岩など、多くの"罠"はこの数分のシーンからとられています。

そして建物の外観から始まり、待ち列(キューライン)、そしてもちろん乗っている間に見える風景は全て遺跡っぽく見えるだけでなく、実際に遺跡に取材に行き、現地の宗教観や作り方をふまえて作られているというこだわりよう。正直なところ、もうちょっと適当に作ってくれた方が怖くなくていいんだけどなぁ。

そしてこのアトラクションにとって欠かせない登場人物といえば!うん、まあインディもそうだよね、欠かせないよね。けれども、本当に欠かせないのがこのパコです!

キューラインの映像でウザいぐらい元気に安全について語り、その後も「荷物はしまった?安全ベルトもしっかりね?」と、とにかく安全には気をつける。そして「若さの泉が見つかるよう祈ってますよ!」と元気に声をかけられ出発します。

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しかし出発した途端「忘れないで、クリスタルスカルを怒らせると何が起きるかわからないよ。アディオス...」と急に声色を変えて言うのです。わあ怖い。そして実際彼が言った通り怒らせてしまい死にかけて、まあ結局脱出して...という風に続いて行きます。

面白いのが、普通にアトラクションに乗るだけではただの良いおじさんに見えるパコは、実は物語を知ると諸悪の根源である事が分かるのです。インディに助手として雇われたのに、金儲けを企んで観光客を勝手に遺跡に招き入れて大騒動を起こす。しかもシートベルトについてはあんなに口うるさく言ったのに、呪いについての忠告はなく出発してから言うという鬼畜さ。

実はこの、助手がひどい奴だったという展開はまさに「レイダース」冒頭数分で観れたシーン。こんな所も映画から直接持ってきているんですね。