エプコット今昔 -ウォルトさんからマーベルまで-
フロリダ、ウォルト・ディズニー・ワールドのエプコットというディズニーパークを知ってますか?実はこのエプコットほど紆余曲折の歴史を経たディズニーパークは他に無いんです!今回はその濃密な歴史をたっぷりとご紹介していきます。
エプコットとは?
まずはエプコットとはどんなパークなのかの紹介。このパークはフューチャー・ワールドとワールド・ショーケースの2つのエリアから構成されています。フューチャー・ワールドにはテスト・トラックやミッション・スペースなど主に未来をイメージした人気アトラクションが多くあり、ワールド・ショーケースにはメキシコ、ノルウェー、中国、ドイツ、モロッコ、日本、アメリカ、イタリア、フランス、イギリス、カナダの11ヵ国の国々をイメージしたパビリオンがありその中のいくつかには国をイメージしたアトラクションがあります。
このエプコットというパークは、まさにここにしかない特別なパークです。オリジナルのアトラクションが多数あるというだけでなく、人が思ういわゆるディズニーらしさが極めて薄くて、グリーティング施設に行かなければ一日ミッキーたちの姿を見かけないレベル。こんな不思議なパークは一体どのようにして生まれたのでしょうか。
ウォルトさんの夢
初期のディズニー社の事業はどれもウォルトさんの思いつきから始まりました。アニメを作りたいと言ったからオズワルドとミッキーが生まれ、それを長編にしたいと言ったから白雪姫が完成し、遊園地を進化させたいと言ったからディズニーランドが出来ました。エプコットもそんなウォルトさんの思いつきから始まったのです。
1960年代、ディズニーランドも完成して一段落した頃、ウォルトさんは孫が何人もいるおじいちゃんになっていました。そんな孫の成長を嬉しく思う一方、そこはかとなく不安も感じていたそう。
果たして孫が大きくなっていった時、この国はどうなっているのだろうか。犯罪や政治の腐敗が起き、汚くて不幸にあふれるこの世界は、ディズニーランドという理想の世界からはかけ離れたものでした。
そんな中でウォルトさんは、ディズニーランドのような清潔で安全、人々が幸せに暮らせる理想都市の構想を練り始めます。そしてこの構想の中に、彼が思う理想の未来のイメージをつぎ込んでいったのです。
ところでディズニーランドは開園当時5つのエリアがありました。メインストリートUSA、アドベンチャーランド、フロンティアランド、ファンタジーランド、そしてトゥモローランド。どれもウォルトさんらが丹精込めて作り上げたエリアであることに変わりはないのですが、その中でも特に手が込んでいたのがトゥモローランドでした。
未来の世界を描くときに、それを良いものとして描くのか悪いものとして描くのか。その中でウォルトさんは徹底して未来は良いものになるという主張を変えませんでした。技術の進歩によって必ず素晴らしい未来が待っている。もちろん初期のトゥモローランドのアトラクションでもその主張を見ることは出来ますが、特にこれがはっきりと分かるイベントがあります。それが1964年から1965年に開かれたニューヨーク世界博でした。
There's a Great Big Beautiful...
万博というイベントは19世紀からあったものの、一番盛り上がった時代はこの1960年代から70年代にかけてでしょう。1970年に開かれた大阪万博が高度経済成長期を感じさせる賑わいを見せたように、1964年のニューヨーク世界博も大きく賑わいます。
そしてこの万博はディズニーにとって特別な意味を持つ出来事でした。ディズニー社は複数の企業に依頼されて、初めてディズニーランド以外の場所に人々が楽しめるアトラクションを作ります。今でも大人気の「イッツ・ア・スモール・ワールド」もこの万博のために造られたアトラクションです。映画のトゥモローランドでも、このイベントが大きく取り上げられてますよね。
ディズニー社はこの万博のために4つのアトラクションを作りました。その中に「プログレスランド」というアトラクションがあります。ゼネラル・エレクトリックに依頼されて作ったこのアトラクションは、ウォルトさんの未来観がはっきりと見て取れます。
このアトラクションはショータイプで、20世紀に住む家族の生活を時代ごとに追っていくというものです。最初は1900年代の生活の様子を見て、その次は1920年代、そして1940年代、1960年代と時代を飛んでいき、観客はそれを見てその間に起きた技術の進歩や生活の変化を感じ取ることができます。
例えば最初の場面では食べ物を冷やすのに最新の氷入れを使っていると自慢していたのに、次の場面では冷蔵庫が登場している。それを見て観客は、
「なるほど、この20年の間に電気が普及して氷を運ばなくても物を冷やせるようになったんだな」
と知ることが出来ます。そして大人は過去のそんな時代を懐かしみ、子供はその時代の事を知れるという教育的な役割が強いアトラクションでした。
このアトラクションは第4幕の1960年代(すなわち「今」)で終わりますが、このアトラクションが一番主張したかったのは存在しない第5幕、すなわち未来の暮らしだと思うのです。
たった20年でここまで暮らしが変わった。それを3回も見せられたら当然、次は何が起きるのだろうと考えるでしょう。それこそがまさに、ウォルトさんらが伝えたかったメッセージだと感じます。
万博終了後、プログレスランドは「カルーセル・オブ・プログレス」と名前を変えてディズニーランド、そして現在はマジック・キングダムに移設されています。この素敵なアトラクション、もっと知りたい方はこのリンクを読むと面白いと思うよ。
そしてさらに面白いのが、この当時ディズニー社はもしかしたら未来に一番近かった会社かもしれないという事。万博にあった4つのアトラクションは全てオーディオ・アニマトロニクスという人間、もしくは動物そっくりのロボットによって成り立ってます。
この技術は当時では明らかに最先端で、ここまで人間そっくりな機械を作れる企業は他になかったのです。ディズニーは未来の技術を持っていたからこそ、未来を語るときに説得力があったのです。
さて、万博終了後ウォルトさんの目指す方向性は大きく変わり始めます。ついに、彼が夢見る未来を実現する時がやって来たのです。
フロリダ・プロジェクト
万博の成功は、ディズニーのアトラクションがニューヨークなど東海岸でも受け入れられたということを意味していました。そこでディズニー社は東海岸に第2のディズニーランドを造る計画を始めます。しかしウォルトさんは、さらなる野望を持っていました。今こそ彼の考える未来都市を作ろうとしていたのです。
じゃあどこに作ろうか。最初のディズニーランドはアナハイムという、人がたくさんいる場所からかなり近い利便性の高い場所にあるので、次もそうかと思いきやあえて逆を狙います。
ディズニーパークなら人がたくさんいる場所から多少遠くても来てくれるだろう。そう考えたディズニー社は、ニューヨークやワシントンD.C.など人口密集地ではなくフロリダ州オーランドという未開の地を選びます。それにはいくつかの理由がありました。
まず、フロリダは土地がとても安かった。今でこそマイアミビーチなどは人気観光地だけど、その頃フロリダの大半はジャングルのような沼地。そんな場所をこぞって買うような人はいなかったので、かなり安い値段で広大な土地を買う事ができました。
そして、周りには敵が誰もいなかった。ディズニーランドが出来る時、造るお金を集めるためディズニー社は必死に宣伝活動をしました。もちろんそれによってお金や人も集まりましたが、それを見ておこぼれをもらおうと企む人も出て来てしまった。するとディズニーランド周辺に安いホテルや飲食店が乱立し、ディズニーランドの雰囲気をこわされてしまったのです。でもフロリダならその心配はいらない。
それでも敵を忍び込ませないため計画は水面下で行われ、この計画は「フロリダ・プロジェクト」と呼ばれました。そしてディズニーは土地の所有者だけでなくフロリダ州政府をも巻き込んでこの計画を広げていきます。
計画が完成した頃には、ディズニーは土地を得ただけでなく、その土地の中では電気・ガス・水道・消防・建築・交通など様々なインフラを独自に作れるという異例の許可を得ます。そのおかげで今でもウォルト・ディズニー・ワールドの道路には、普通ではありえないミッキーマウス型の道路標識が無数に立っているのです。
実験的未来都市
こうして土地も金もインフラの権利も持ち、一言で言えば「何でもやって良い」というお墨付きを得たウォルトさんは都市計画を完成させます。ついにEPCOTの誕生です。EPCOTとはExperimental Prototype Community of Tomorrowの略で、日本語では「実験的未来都市」などと訳されます。(この記事では区別化のため、元々のウォルトさんの構想をEPCOT、パークとして実現した方をエプコットと表記します。)
このEPCOT構想で大事にしていたのは、今ある社会をどうアップデートするかという事。ではその中身を見ていきましょう。
この写真を見れば分かる通り、この街は特徴的な丸い形をしています。そして見ると、中央と外側では見た目が大きく異なる事が分かります。これは中央は商業地域、外側は居住地域になっていて、人々は昼に中央に集まって夜には外側へ帰るという徹底的に効率を追い求めた形になっているからです。
EPCOTの中心を飾るのは遠くからもよく見える30階建てのビル。その周りには屋根で覆われて天候に関係なく過ごせる商業施設(ショッピングセンター)があり、そこでは世界中の食べ物や服を楽しめる他、プールや野球場、テニスコートなど娯楽施設も多数あります。
当時のアメリカでの移動手段といえば車ですが、EPCOTでは違います。モノレールとピープルムーバーという新しい乗り物が街中を繋いでいて、車は地下を走るので景観や空気が汚れる事なく移動することができます。
さらに街の中と外を結ぶのもモノレール。交通手段はわざと限られていて、あまり人の出入りが起きないようになっています。というのも、目指しているのは理想都市。素性がわかっており、犯罪を起こさないであろう人にしか住んで欲しくなかったので、そういった意味で空間ははっきりと分けられていました。
さらにデザインはとても洗練されていて、この絵を見ただけでもカッコ良さが伝わってきますよね。未来都市と名乗るだけあってEPCOTの暮らしは今を超えた未来の生活、すなわちカルーセル・オブ・プログレスの、存在しない第5幕の暮らしです。
中心の街がこのように綺麗な見た目であるだけでなく、それぞれの家も未来を先取りしたものにしようとしていました。家電などを作っているメーカーに働きかけ、このEPCOTを巨大な実験場にしようと考えていたのです。そうすることで、住人は最先端の家具を使うことができ、メーカーは実際に人々に使って見てもらって反応を確認できるというwin-winな関係が成り立つ予定でした。
しかし皆さんおわかりの通り、これらの計画が実現することはありませんでした。1966年12月、EPCOT構想を率いていたウォルトさんが亡くなったからです。ウォルトさん抜きでEPCOTは作れない。そう感じた残されたディズニー社の人々は、EPCOT構想を白紙に戻します。
しかしすでに土地の購入も完了し、準備は整っているフロリダ・プロジェクト全体を無くすことはしませんでした。元々EPCOT構想を練っている時も、この都市の隣に東海岸版のディズニーランド、マジック・キングダムを作る計画はあったので、まずはその部分だけ完成させる事にしました。
思い出のあとさき
このEPCOT構想は、まさかの理由で強制的に幕が閉じられます。それから半世紀、多くのディズニーファンはこの幻の計画に心を惹かれてきました。そして当然、完成したらどうなっていたか想像する人も多いでしょう。なのでちょっと僕の意見として、もしウォルトさんが後10年ほど長く生きてEPCOTが完成した様子を想像、いや、妄想してみたいと思います。
僕の予想としてはEPCOTは「失敗はしないけれど成功、すなわちウォルトさんが夢みたようにはならなかった」のかな、と思います。
この計画を見ると、どの要素もすごく納得できる、実際にあっても問題なさそうな仕組みばかりなのですよ。ウォルトさんが最初にディズニーランドを作ろうとした時は、誰もその夢が実現できるとは思えなかったはず。でもこのEPCOTに関しては、もちろん規模は大きいけど合理的だし、多分完成したら沢山の人が住もうとしたはず。モノレールやピープルムーバーという新しい乗り物も、ディズニーランドで実証実験の意味も込めて運営されてるけど特に問題なさそうなので、普通に動いて仕組みもうまく回ったはず。
ただ一つ言うと、フロリダの土地で車が通れるトンネルを作るというのはちょっと無理そう。フロリダは沼地なので、土壌に水分が多すぎてトンネルが上手く作れないんですよね。だからマジック・キングダムは地下にトンネルを作るために、パーク全体を盛り土の上に建設していて、流石に都市一つを盛り土の上に作るのは難しそう。
まあとにかく、EPCOTはちゃんと機能するはず。だから失敗することは無いように思えるんですよ。
でも果たしてこのEPCOTは本当に未来都市になったのか、そこはちょっと怪しい。未来という形は常に変わって行き、20年前は夢のまた夢だった未来の世界が今思えば過去になっているように、「未来であり続ける」というのは難しい。もはや不可能に近い。
ディズニーの中で同じく未来を表現しているトゥモローランドも、未来を表現し続けるために完成してからも何度も何度もアップデートされたものの、ここ20年ほどは未来に追いつく事を諦める始末。EPCOTは人が住む街だからディズニーパークほど頻繁にアップデート出来ないだろうし、そう考えるとEPCOTが未来都市でいられるのは10年程度だったかもしれない。
さらに心配なのは、果たしてディズニー社はウォルトさん亡き後もEPCOTのお世話をしていたのだろうかという事。1970年代、ウォルトさんが亡くなってからしばらくした頃、ディズニー社の経営は悪化していました。テーマパークは成長があまりなく、映画に関してはズタボロ。
そんなディズニーが、お世辞にもあまり儲かりそうとは言えないEPCOTの運営を果たして続けていたのかは疑問です。もしかしたら他の企業に売却されてますます未来都市の要素を失い、さらにせっかくのフロリダの広大な土地の大半がディズニーの元から去っていってしまう。かなりあり得るシナリオだと思います。
もちろんこれらはEPCOTが存在しない世界線に生きる僕の考えなので、もしかしたらEPCOTの完成によりそこには全く違った未来があったかもしれないという事は忘れちゃいけません。完成したらどうなったかなんて、実際に完成していないのだから分かるわけないのですよ。
とにかくウォルトさんの死によって未来都市計画は消え、フロリダの土地は巨大テーマリゾートとして進化していく事になります。"もしも"の話はここでおしまい、実際の歴史へと戻りましょう。
EPCOTからエプコットへ
1971年10月1日、ウォルトさんの死から5年後、ウォルト・ディズニー・ワールド(WDW)が開業しました。元々ディズニー・ワールドという名前でオープンする予定でしたが、ウォルトさんの死後計画を引き継いだ兄のロイさんの意向で名前に"ウォルト"と付け足されました。
幼い頃からずっと共に歩んできたロイさんとウォルトさん。ウォルトさん最後のプロジェクトぐらい弟のフルネームを付けてやろうという粋なはからいなのでしょう。そして開業から2ヶ月後の1971年12月にロイさんも亡くなったため、このウォルト・ディズニー・ワールドは兄弟両方にとって最後のプロジェクトとなりました。
さてWDWが開業したといっても、出来たのはディズニーランドの複製版であるマジック・キングダムとホテルが2つ(コンテンポラリー・リゾートとポリネシアン・ヴィレッジ・リゾート)のみ。広大な土地のほんのわずかな部分しかまだ使われていませんでした。そしたら当然新たなパークを作る計画が始まります。そこでディズニーは、かつて白紙に戻されたEPCOT構想を復活させる事に決めたのです。
元々の計画である未来都市を作るのは不可能だと悟ったディズニー、そこでかつての計画から要素だけを取り除いて、規模感を縮小したテーマパークに落とし込む事に決めます。そこでイメージしたのが、元々のEPCOT計画の始まりの地といっても過言ではない、万博でした。
エプコットのテーマは「常設の万博」。エプコットの2大要素である未来の様子と世界の国々、これはまさに万博でよく語られるテーマです。期間限定でしか触れる事が出来ない万博を何年も一年中楽しめる事が出来たら、ただのテーマパークを超えた特別なものになると考えたのです。
さらに万博と同じように、アトラクションもスリルのあるローラーコースターではなく、教育要素を含んだ映像のシアターや、ゆったりとした乗り物が大半でした。というかそもそもアトラクションの数自体が1982年の開業時点では5つしかありませんでした。いや、5つって。しかもこれ映像のシアターを含めてこの数字だからね。
1982年10月1日、世界で3番目のディズニーパークであるエプコット(当時の名称はエプコット・センター)が開業しました。今までのディズニーパーク、そして半年後に開業する東京ディズニーランドには城という目立つシンボルがあるので、当然エプコットにもシンボルは必要です。さあご覧あれこの特徴的な白い球体、スペースシップ・アースを!
スペースシップ・アースを直訳すると宇宙船地球号。よく"ゴルフボール"と呼ばれてるこの球体は直径50mあり、台座を含めての高さは55m。シンデレラ城の高さとほぼ同じくらいです。重さは驚異の700トン。平気なのは分かってるけど、下をくぐるときにちょっと恐怖を感じるレベル。
そして何よりすごいのは、この球体の中がアトラクションになっていて縦と横だけでなく上下も乗り物に乗って動きまくれるのです。ゆったりと進む乗り物の周りには沢山のオーディオアニマトロニクスがいて、人類の歴史を辿れるという壮大な楽しいアトラクションです。超オススメ。でもこれ乗っている間、今どこにいるのか全然分かんなくて設計者をひたすら尊敬したくなる。よく作ったよ、本当に。
そしてスペースシップ・アースをくぐり抜け、しばらく歩くと見えてくるのは巨大な湖。この湖の周りに11の国をイメージしたパビリオンがあるんだけど、それの規模がまあデカい。湖を一周するだけで2kmあって、前半の国々はちゃんと中まで入ったりして楽しめていたのに後半になるとだんだん疲れて見るのが雑になるっていうエプコットあるある。無いか。
そしてこの国のパビリオン一個一個が非常に素敵なんです。美しい観光地の建築をそのままコピーして、なおかつキレイに整えられてるから何なら本物よりキレイなのでは?と思った。(特に中国館とイタリア館あたりで)
しかもそこにあるのは、その国そのもの。だって僕という日本人が日本館に行って全然違和感感じなかったんだもん。そこにあるのは決して、アメリカ映画によくあるトンデモ日本ではなく、厳島神社の大鳥居、五重の塔、姫路城と日本を代表する建物たち。このコンセプトアートの時点では富士山をテーマにしたローラーコースターも作られる予定だったけど予算の問題で消えちゃったみたい。残念。
しかもショップではおそらく世界のディズニーパークで唯一ポケモンやサンリオのグッズも買えちゃうし、レストランでは鉄板焼き、寿司、豚骨ラーメンまで何でも食えちゃう。店員さんも多くは日本人なので、エプコットの言う異文化体験は伊達じゃない。
そういえばフランス館ではディズニーランド・パリのグッズ、中国館では上海ディズニーランドのグッズが売ってたけど、日本館では無かったな。
時代の変化とエプコットの変化
さすがにアトラクションが5つだけというのは少ないと気付いたのか、後々に激しい系のアトラクションが追加されていきました。でもその追加アトラクションも、他のディズニーパークとは一線を画したものばかりでした。「テスト・トラック」(1999年開業)という車の走行体験に参加できるアトラクションや「ミッション・スペース」(2003年開業)という宇宙を旅行出来るアトラクションなどエプコットらしいここだけにしか無いアトラクション。スリルもありながら、エプコットの未来というテーマや教育的要素を含んだ、とても独特なもの。でも酔いやすい人はマジで吐く。
でもエプコット開業から20年ほど経った頃、新規アトラクションの傾向が変わっていきます。
「シー・ウィズ・ニモ&フレンズ」(2006年開業)
「三人の騎士のグラン・フィエスタ・ツアー」(2007年開業)
「フローズン・エバー・アフター」(2016年開業)
と、見て分かるようにディズニー映画のキャラクターのアトラクションが増えてきたのです。
あえて「いわゆるディズニー要素」を減らして作られたエプコットにディズニー要素を詰め込むのはどうなんだ。これはアメリカのめんどくさいディズニーオタクの中でよく話題に上がるそう。そしてこれと全く同じ議論が東京ディズニーシーでもされてるよね、ストームライダー閉鎖の時とか。
僕としては、この風潮は別に全然気にならないです。だってディズニー要素詰め込んだ方が楽しいじゃん、結局。この写真のアナ雪のアトラクションはノルウェー館にあって、元々あった「メールストーム」というノルウェーの伝説をテーマにしたアトラクションをリニューアルしたもの。でね、誰が見てもアナ雪の方が楽しいのよ。アナ雪の方が小さい子も喜ぶし、それめがけて人が集まるし、グッズも売れるし、みんなハッピー。
でも確かに、反対する人たちが言いたいことも分かる。「フューチャー・ワールド」という未来を意味するエリアから、未来を示す要素が消えていくのは確かに寂しい。元々「エレンのエナジー・アドベンチャー」というアトラクションが今度マーベル映画「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」のローラーコースターに生まれ変わります。正直この「エレンの〜」は乗ったけどあまり面白くなかったし、絶対「ガーディアンズ〜」の方が楽しいし人が集まる。
でも本当にそれでいいの?エプコットのテーマは常設の万博で、そこにあるアトラクションは未来を語ったり教育要素を含むものじゃなかったの?という事ですよ、彼らが言いたいのは。本当にSF映画のアトラクションで「フューチャー・ワールド」と語っていいのかって。
エプコットだけじゃない。世界のディズニーパークにあるトゥモローランドだって、最初はディズニー映画が関係ない、純粋に未来を語るアトラクションだらけだったのに、今では大半がSF映画のアトラクションだ。(しかもモンスターズ・インクとかSF映画かどうかすら怪しい)
最新の上海ディズニーランドのトゥモローランドだって、建築は今までとは違う未来的な雰囲気を出しているのに、そこにあるアトラクションはどれもディズニーのSF映画が元になったものばかり。果たしてSF映画のアトラクションが集まったエリアは本当に「トゥモローランド」なのだろうか。
昨日の"未来"、今日の"未来"
さあ、まとめに入ろう。
1960年代にウォルトさんが語った未来はとうに過ぎ去り、今あのEPCOTの街を作ったら古臭く感じるだろう。それだけ時代の変化が進んだという事だ。そう思うと、まるで未来というのはもうやって来たように感じるだろう。でもそんな事はない、かつて夢見た未来は過ぎ去っても、私たちは本当の意味での"未来"には永遠に追いつけないのだから。
ウォルトさんは何故EPCOTを作ろうとしたのか。単純に利益のためなら、もっと人が集まりいくらでも稼げるディズニーパークを作りまくれば良い。すなわち現在のWDWであり、エプコットがこれから目指す先。
でもそれをせず街を作ろうとしたのは、この街が未来を良い方向に変えられると信じていたからなのではないだろうか。ウォルトさんが夢見た未来都市は形を変えに変え、最終的にはSF映画のアトラクションが集まるディズニーパークになるのだろう。なぜならディズニーパークは未来を語るのをやめてしまったから。
ディズニーパークはテーマパーク、分類としては遊園地だ。彼らには来園者を楽しませるという義務があり、来た人を楽しませながら未来を語るというのは荷が重いかもしれない。それでも50年前、ディズニーパークは確かに未来を語っていた。今のディズニーパークは最先端の技術を使ってアトラクションを作ったりはするけど、技術を紹介したりはしない。
めんどくさい事を言っているのは分かってる。そして今ディズニーがやろうとしてる事を否定する気はさらさらない。だって楽しみだし。それでも期待したくなるんだ、こんな壮大な流れを経て今にいたるエプコットなら、子供から大人まで楽しませながらも未来を語れる物凄いアトラクションが出来てくれるんじゃないかなって。