ファンタズミック!製作の物語

ディズニーパークの醍醐味は決してアトラクションだけではありません。一日の楽しみを締めくくるものこそが夜に行われるショーたちです。そこで今回は今なお続く大人気のショー、ファンタズミック!の製作の歴史紹介です。

ディズニーのショーと言われて多くの人々が思いつくものといえば、やはりパレードや花火などをあげるでしょう。それは今も昔も変わらずだったのだけれど、1992年に新たなショー、ファンタズミック!が誕生します。1992年、1992年ねぇ...。

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1992年4月、ユーロディズニーランド(現・ディズニーランド・パリ)が開業します。そしてディズニー社はこのパリのパーク建設で大忙し。カリフォルニアのパークは置き去りになってしまい、この1992年には新アトラクションなどの何の新要素も準備できていなかったのです。そこでパレードや花火とは全く違う新たなショーを計画しました。そして嬉しい事にこの計画が進んでいたのはパリ開業以前。つまりパリの反動で経費削減される前だったので、思う存分予算をつぎ込めました。(詳しくはインディの記事を見てね)

この新たなショー、1番の挑戦は、このショーを公演する場所をアメリカ河にした事。というのも、夜になると皆がパレードや花火を見るために城の前に集まって毎晩のように渋滞を起こしていたから。人々が分散していたらかろうじて耐えられる人口密度も、ショーのために集まってしまったらもうたまりません。何とかして、アトラクションが少ないため閑散としていたエリアに人を呼ぶ事で快適に最後までいられるようにしなければならなかったのです。

人を呼ぶためにはやはり派手にやらなくては!そう思ったのか、まず手始めにステージとなるトムソーヤ島と河をゴリゴリに改装し始めます。演出も派手に、花火や噴水、レーザーだったりとか当時まだ珍しかったウォータースクリーン、そして何と言っても火を噴くドラゴン!ディズニーが考えうる限りの特殊効果を全て詰め込みました。(こんなのパリ以降じゃ絶対出来なかったって...。)

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そして1992年5月13日、ついに公演開始!人々の想像を遥かに超えた世界観に、多くの人々が夢中となり、人を分散させようと始まったこのショーに人が押し寄せたため鑑賞スペースを広げなくてはならなかったレベル。

このショー、当初は「イマジネーション」という題名だったらしいけれども、やはり唯一無二の名であり覚えやすいものの方がいいとして、ファンタジーとミッキーの愛称ミックを掛け合わせた「ファンタズミック!」となったのです。

そしてオープニングセレモニーのマレフィセントと、当時のディズニー社CEOマイケル・アイズナーという図があまりにもシュール。見てよこの顔。

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このショーは当初5年だけの公演の予定でしたが、あまりの出来の良さ、そしてあまりの人気に継続が決定。現在も続くロングランとなりました。

そしてその人気は開始から数年後には確かなものになりました。フロリダで、このショーだけのための超巨大ステージが作られたのです。席数は驚異の6900、さらに3000人が入る立ち見エリアに囲まれるのは、15メートルの山に、船が通れるだけの巨大な湖。もちろんこれはディズニーパーク史上最大のシアターであり、それがこのショーだけのために作られたと。もし数年で人気が無くなってしまったら大赤字となる大きな決断ですが、結局今も毎日満員となるので予想は大的中!よかったね。

そんなショーの人気はもちろん世界中に伝わっていきます、東京にも。オリエンタルランドさんもこのショーを同じくアメリカ河で公演したかったものの、鑑賞スペースが一切なかったのでこれを断念。そこで、ショーのコンセプトである善と悪の戦いというものを取り扱ったパレードを作ります。それが、「ディズニー・ファンティリュージョン」終わってからかなり時間経つのに一部のファンからまだまだ強い支持があるらしいからよほど人気だったんだろうね。

そして2001年、東京ディズニーシーが開業。これによってショーが出来るだけの広い海が手に入ったわけだけど、ファンタズミック!が始まったのは開業10周年を迎えた2011年から。最初はオリジナルの「ディズニーシー・シンフォニー」でした。やっぱりアトラクションをほぼオリジナルで揃えただけあって、目玉となる夜のショーもオリジナルにしたかったんだろうね。しかもその内容はファンタジアの魔法使いの弟子を元にしたもの。明らかに意識してるし、実際にオリエンタルランドのインタビューでファンタズミック!を超えるものを作るって言っていたそう。その次は「ブラヴィッシーモ!」という名のショーで、冒頭に一瞬ミッキーが登場するだけで後はディズニーの曲もキャラも一切出ない、水の精と火の精の物語。

そして2011年、ついに、ついに!

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カリフォルニアでの初公演から20年、フロリダからも15年経っての東京到来。もちろんそのまま東京に持ってきたわけではありません。今までは河の中央に大きな島があったからそこをステージにできたけど、東京ではそれが無い。そこで上下に伸び縮みするスクリーンを持った巨大な帽子型の船を中心に浮かべ、船を丸々ステージにしてしまったと。しかもそこに花火も噴水も付けて、あの船一台の開発だけでどれだけの手間と労力と予算がかかってるのか想像もつかない。そして全方位に観客がいるのでウォータースクリーンに加えて、球体のスクリーンを4つも使い、そして巨大な滝に映し出される魔法の鏡。これらは全て、東京にステージが無いことを逆手に取った素晴らしいやり方だと思う。しかもこのハーバーの強みの一つが、大きくそびえ立つプロメテウス火山。ドラゴンの登場に合わせて大きく噴火するので、臨場感がはるかに高まります。だってトムソーヤ島は噴火しないもの。

ところで、シーの開園である2001年なんかはまだネットが普及途中だったから当時の様子はあまり見つけられないのだけど、2011年ともなるとシーでファンタズミック!をやるよっていうニュースを聞いた人々のブログが沢山見つかるのですよ。それで当時海外パークでショーを見た人が色々書いてるんだけどその内容は大きく分けて半々で、新しいショーに期待してる人と、まだ見てもいないのにあのショーは東京では出来っこないってバカにしてる人。探すとポジティブなものもどんどん出てくる代わりにネガティブなのも見えちゃうんですよ。

それでね、そのネガティブなのはもちろんまだショーが始まってないから勝手にこんな風になるだろうって予想して、だからダメだって決めつけてるんですよ。そんな文章はショーが始まってからも消さない限り残り続けるんですよ、予想が完全に外れたと判明した後も。なので、期待を胸に予想するのはすごく良いことだけど、勝手に予想してそれを基にバカにする、しかもそれをブログに書いて半永久的に残すのは良くないなぁと、この記事を書くために調べ物をしてて思った。

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ごめん話がそれたね。じゃあ最後にショーの中身についてちょっとだけ。

ディズニーで、映画でもパークでもなんでも、「夢」って言葉よく聞くじゃないですか。でも夢って2種類の意味があるんですよ。ウィキによると、

1. 睡眠中あたかも現実の経験であるかのように感じる、一連の観念や心像のこと。睡眠中にもつ幻覚のこと。
2. 将来実現させたいと思っていること。願望。願い。 

と。もともと夢って言葉は1の意味が元にあって、明治以降「Dream」の訳として2の意味もついて来たっていう説が有力らしいんだけど。

それでディズニーパークの言う「夢」はどっちの意味なんだろうって考えたことがあってね。例えば「夢と魔法の王国」っていう言葉の中だと、魔法と同列になってるんだから2の願望よりは1の寝てる時に見るやつの方が近いかなぁと。でも「夢が叶う場所」って言われると、これは2の願望の意味な気がする。だって寝てる時の夢は別に叶うものでは無いからね。

じゃあファンタズミック!ではどうだろう。このショーの中でも「夢」という言葉が何度か出てくる。例えば、ジャングルのシーンの直前、ミッキーのセリフで「おぉい、まだ夢の中なのかい?」というのがある。これは明らかに1の寝てる時の夢。だってこのショーの一連の流れはミッキーの夢の中の世界なんだから。

でもね、マレフィセントとの対決シーン、絶体絶命の状況の中ミッキーは怯えたように、けれども力強くこう言います。

「き、君がどんなに強くても、これは僕の夢なんだ!」

この夢はどちらの意味だろうと考えた時に、これはどっちの意味でも取れると思うんですよ。

もちろんここはミッキーの夢の世界なんだから、これは僕の夢なんだ、と。最初はそう考えるのが自然に思えるけど、ミッキーには何か願いがあってそれを今まさに邪魔されそうになってる。だからこそ、その悪の力を跳ね除けなければいけない、だってこれは僕の夢なんだ、と。

これには正解はないと思ってます。もちろんそのミッキーの願いというのはショーの中で語られていないから分からないけど、こう考えても何ら不自然では無いよね。深読みしすぎかな、と少し思うけれどこれは「夢」という言葉のダブルミーニングを使った、最高の言葉だと思うのですよ。

だって締めくくりの言葉は「イマジネーション!ハハッ!」イマジネーション、想像というのは"夢のような世界"の事だけじゃなく、将来の夢の事も含まれるのだから。でもこればっかりは、ミッキーに直接聞いてみないとわかりませんね。

インディ・ジョーンズ・アドベンチャー製作の歴史

ディズニーパークには映画を原作にしたアトラクションとオリジナルのアトラクションの2種類があります。そして東京ディズニーシーは世界的に見てもオリジナルのものの比重が高いパーク。そんな中で開園当初からあり、なおかつ映画が元のアトラクション、今回のアトラクション製作秘話紹介は「インディ・ジョーンズ・アドベンチャー:クリスタルスカルの魔宮」です。

インディ・ジョーンズは1981年に始まった人気映画シリーズ。1作目は「レイダース/失われたアーク《聖櫃》」という名で公開され、決してシリーズ化を狙ったものでは無かったものの大ヒットにより人気の映画シリーズとなりました。しかし今でこそルーカスフィルム買収によりディズニーが権利を持つようになりましたが、公開当時やシーの開業時ではディズニーとは何の関係も無い映画でした。ではなぜその映画がディズニーパークにやって来たのでしょうか?答えはこのおじさんにあります。

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彼の名はマイケル・アイズナー、1984年から2005年までディズニー社のCEOだった人物です。彼がCEOとなった80年代前半のディズニー社は現在とはかなり違った様子でした。アニメはヒット作に恵まれず1989年の「リトル・マーメイド」の登場までは暗黒期と呼ばれる不遇の時代、テーマパークもウォルトが考えるような夢に溢れて皆が乗りたいと思うようなアトラクションを作り出せていませんでした。つまり会社全体がウォルトロスから抜け出せず、ウォルトと同じくらいのカリスマ性を持つ人物を欲していたのです。

アイズナーは元々パラマウント映画の会長をしており、そこで会社の業績を一気に上げたところディズニー社から引き抜かれました。そんな彼がパラマウント在職中にプロデュースした映画は例えば「ビバリーヒルズ・コップ」や「スタートレック」、そして「レイダース」。話の流れ、見えて来ました?

彼はディズニーパークに新たなやり方を提示しました。それは、比較的大人向けの映画を題材にしたアトラクションを作ること。そしてその映画はディズニー映画である必要はないと。そしてディズニーアニメが低迷している頃に映画をヒットへ何度も導いていた人物がいました。それこそスター・ウォーズとインディの生みの親、ジョージ・ルーカスでした。

ルーカスはレイダースの製作の時にアイズナーと親交があり、なおかつディズニーランドのファン。アトラクション計画の話はあっという間に進んでいきました。非ディズニー作品のアトラクションを作る、初めての試みだったものの1987年にオープンした「スター・ツアーズ」はまさしく大成功、狙い通りディズニーパークの起爆剤となりました。

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さあ次はインディの番です。1989年、「インディ・ジョーンズ:エピック・スタント・スペクタキュラー!」という名のショーをフロリダで開催して成功を収めたため、インディのアトラクション化にはとても強い自信を持っていました。だから夢は大きく、アトラクションにとどまらず一つのエリアを作っちゃえばいいじゃないか!そうして開業を控えるユーロディズニーランド(現・ディズニーランド・パリ)とカリフォルニアのディズニーランドにインディのエリアを作る計画を立てます。その計画の中にはジープで魔宮を巡るもの、トロッコを模したコースター、そしてジャングルクルーズの完全リニューアルなど様々な要素を含む画期的なものだったそう。計画は順調に進んでいました。あの日までは...。

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1992年4月12日、ユーロディズニーランドが開業するとディズニー社の人々が予想もしていなかったことが起きました。驚くほどに人が来なかったのです。まあもちろんそこら辺の遊園地よりは遥かに多くの人が来ているものの、目標を高くしすぎたためにそれに釣り合う来園者数ではありませんでした。

パリのパークは当時では最大の投資額、面積を持ち、細部までこだわって作り込まれた非常に美しいパークです。だからこそ、その作りこむのに掛かった金額は、中途半端な来園者数でカバーできるものでは無かったのです。実際に行ってみると分かるけれど、入り口の迂回路であるアーケードや城の地下など普通は通らないような場所が異常なほどにこだわって作られていて、要は調子に乗って作るのにこだわりすぎちゃったと。だからとっても美しいパリのパーク、みんな是非行って赤字を回避させてあげてください。

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さあ話を戻そう。パリでディズニーパーク初の大きな失敗をしたアイズナー達ディズニー社は、その反動でパリの真逆のことをし始めます。つまり予算を削り、あまり手の込んだことはしないと。ディズニーパーク初の暗黒期の始まりです。既にある回転が悪かったり人気が落ちたアトラクションが大量にクローズし、新たなパーク(アニマル・キングダムやカリフォルニア第2パークなど)計画の規模縮小、そして既にあるパークの計画はほとんどが破棄されます。インディエリアの将来も本気で危ぶまれたものの、かろうじて全滅することはありませんでした。それがパリにオープンした「危難の魔宮」という名のローラーコースター、そしてカリフォルニアにオープンした「インディ・ジョーンズ・アドベンチャー:禁断の瞳の魔宮」でした。

さて、パリの失敗によるコストカットの影響を唯一受けなかったパークがあります。それこそが東京。運営会社のオリエンタルランドはディズニー社とは独立した会社で、パリの失敗を気にすることなく独自に第2パークとなる東京ディズニーシーを作れたのです。彼らはテーマパーク建設の時にケチるのは良くないと分かっており、同じ年に開業したディズニー・カリフォルニア・アドベンチャーの3倍にもなるほどの建設費を投入し、実際の来園者数も倍近い差が出来ました。

そんなシーを構成する7つのテーマポートの中の一つであるロストリバーデルタ、これは失われた計画であるインディエリアとなるのです。インディのアトラクションの隣には2004年開業の「レイジングスピリッツ」がありますが、これはパリにあるインディテーマのコースター「危難の魔宮」の完全なコピー。(ただしパリは美しいジャングルの自然が見えるのに対して、東京ではオフィシャルホテルと駐車場が良く見える)

そしてインディの飛行機C-3POが不時着しており、なんならインディ本人がエリアをウロついている。これはまさしくインディエリアと言ってもいいのでは!?

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こうして紆余曲折を経てようやく実現したインディのアトラクション。もちろん生半可なものでは終われません。インディの世界のようなスリルあふれる冒険をするには説得力のある世界観や技術が必要です。そこで当時開発していたEnhanced Motion Vehicle (EMV)という技術を使い、全く新しいジープを作りました。これは中央のレールに沿って進む時に曲がったり加速したりすると、座席ごと大きく傾かせるというもの。これによって決して速く動いてなくても猛スピードで進んでいるような感覚を味わえるのです。

さらにインディの映画の中で印象的なのが、超自然的な力が起きる遺跡の数々。特にレイダースの冒頭数分のシーンは、映画が始まって間もないのにドキドキさせてこの後どうなってしまうのだろうと観客を驚かせました。要はつまり心臓に悪いと。じゃあアトラクションの要素もそこを使うしかないよね!と言うことで、印象的な巨大な転がる岩など、多くの"罠"はこの数分のシーンからとられています。

そして建物の外観から始まり、待ち列(キューライン)、そしてもちろん乗っている間に見える風景は全て遺跡っぽく見えるだけでなく、実際に遺跡に取材に行き、現地の宗教観や作り方をふまえて作られているというこだわりよう。正直なところ、もうちょっと適当に作ってくれた方が怖くなくていいんだけどなぁ。

そしてこのアトラクションにとって欠かせない登場人物といえば!うん、まあインディもそうだよね、欠かせないよね。けれども、本当に欠かせないのがこのパコです!

キューラインの映像でウザいぐらい元気に安全について語り、その後も「荷物はしまった?安全ベルトもしっかりね?」と、とにかく安全には気をつける。そして「若さの泉が見つかるよう祈ってますよ!」と元気に声をかけられ出発します。

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しかし出発した途端「忘れないで、クリスタルスカルを怒らせると何が起きるかわからないよ。アディオス...」と急に声色を変えて言うのです。わあ怖い。そして実際彼が言った通り怒らせてしまい死にかけて、まあ結局脱出して...という風に続いて行きます。

面白いのが、普通にアトラクションに乗るだけではただの良いおじさんに見えるパコは、実は物語を知ると諸悪の根源である事が分かるのです。インディに助手として雇われたのに、金儲けを企んで観光客を勝手に遺跡に招き入れて大騒動を起こす。しかもシートベルトについてはあんなに口うるさく言ったのに、呪いについての忠告はなく出発してから言うという鬼畜さ。

実はこの、助手がひどい奴だったという展開はまさに「レイダース」冒頭数分で観れたシーン。こんな所も映画から直接持ってきているんですね。

トイ・ストーリー・マニア製作の物語

東京ディズニーシーで一番好きなアトラクションは?と聞かれたら、答えは人それぞれ分かれるだろうけど、今一番人気なアトラクションは?と聞かれたらもうあれしかありません。アトラクション歴史紹介第4弾の今回は「トイ・ストーリー・マニア!」です。

1995年、初のフルCG長編映画「トイ・ストーリー」で華々しいデビューを飾ったピクサー・アニメーション・スタジオ。そんなピクサー作品初のアトラクションは1998年にフロリダのマジック・キングダムでオープンした「バズ・ライトイヤー・スペースレンジャー・スピン」名前こそ若干違うものの東京のバズのアトラクションと同じシューティングタイプのアトラクションです。(ただフロリダの方が圧倒的に操作性が悪くてムズい)

このアトラクションは「トイ・ストーリー2」の冒頭、バズとその宿敵ザーグが戦うテレビゲームが元になっています。しかーし、映画の公開は1999年。なんとアトラクションより1年遅いんですね!つまりこのアトラクションは映画の製作と同時進行で進められ、ザーグの初登場というのは実は映画ではなくアトラクションだったと。

しかしこの当時、ピクサーは決してディズニー傘下ではありませんでした。ディズニーは配給だけを行う、完全に別会社。なのでこのバズのアトラクションはピクサーとのライセンス契約によるもの。ディズニーパークでは珍しい他社作品のアトラクションでした。

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しかし2006年、それも終わりを迎えます。ディズニーがピクサーを約70億ドルで買収し、子会社化します。これによってディズニーはピクサー作品をより気軽にパークに登場させられるようになったのです。その中で作る題材として上がったのが、誰もが知るピクサーの原点、「トイ・ストーリー」です。

どんなアトラクションにしようかと考えていく中で、やはりバズの大成功が頭に浮かんだことでしょう。バズは開業から10年近く経ったこの時も、そして20年経った今も常に人気で、世界6つのディズニーリゾート全てにあった数少ないアトラクションです。(香港ではクローズ済み)しかも他にコンプリートしていたのは「カルーセル」、「空飛ぶダンボ」、「スタージェット」(東京ではクローズ済み)と、昔からあるものだけ。やはりバズは他のアトラクションとは一線を画すものだったのです。

やはりバズの魅力は、ただ乗るだけでなくゲストが参加できるという事でしょう。そこで新たなアトラクションも同じくシューティングゲーム形式にする事となったのです。じゃあどんな内容にするか。このアトラクションはディズニー・カリフォルニア・アドベンチャーの「パラダイス・ピア」(現・ピクサー・ピア)に作られることが決まっていたので、そのエリア設定である19世紀のビクトリア朝に流行ったカーニバルをテーマとします。正確には、カーニバルのおもちゃがテーマ。そう、おもちゃの世界は何でもありだから。アトラクションは2008年にカリフォルニアとフロリダでほぼ同時に開業し、大きな人気となりました。そして次に向かう先は東京ディズニーシーです。

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しかしここで問題発生。世界のディズニーパークの中で最もエリアの世界観にこだわっている東京ディズニーシー。当然直輸入は出来ません。

スペース的に、このアトラクションが出来るのはアメリカンウォーターフロントしかありません。しかしこのエリアの時代設定は20世紀初頭、せっかく作られたビクトリア朝という設定が使えません。そこで目をつけたのが、実際に20世紀のニューヨークにあった遊園地でした。ニューヨーク、ブルックリンの南端にコニーアイランドという島があり、そこには遊園地がありました。この時代のニューヨークに遊園地があったんだから、アメフロにも遊園地があってもいいだろ!という論理展開が凄い。こうしてディズニーシーという遊園地の中に「トイビル・トロリーパーク」という遊園地が誕生したのです。

でもそんな風に物語を作っても普通の人は何も気付かないし、めんどくさいオタクからはシーのランド化だなんだ言われてディズニー/OLCが可哀想で可哀想で...。うるさい時代は変わったんだ、素晴らしいキャラクターがいるんだからそれを使って何が悪いとしか言い様が無いよね。

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さあ、いよいよライドの中身の話へ。このアトラクションは確かにシューティングゲームだけど、普通のゲームとは明らかな違いをつける必要があった。だってワンプレイ7000円、プレイまで2時間待ちは当たり前、ファストパスという名の整理券も朝早くに売り切れるゲームが普通のゲームセンターと変わらなかったら客は怒るどころじゃ無いでしょ?でもそれは、バズで培った経験をもとに全く新しいゲームへときちんと進化しているので大丈夫。

まず最初の凄いところは、映像が全て3Dなこと。そんなに特別か?って思うけど、思い出してほしいのはこのアトラクションが出来たのは2008年、3D映画が広まりだしたのは2009年公開の「アバター」以降なので、当時としてはまだまだ珍しい技術。もちろんディズニーパークでは「ミッキーのフィルハーマジック」っていう3Dアトラクションが2003年からあるけど、自分の動きと3D映像が連動するのは楽しいじゃないですか。ね?

そしてシューティングゲームなのに撃つものが大砲なのも凄いところ。バズではよくある普通の光線銃だけれど、小さい子供にとって紐を引っ張るというのは何とも言えない喜びがあるもの。たとえ得点が上がらなくても、大砲の紐を何回でも引っ張れてその弾が目の前の3D映像に飛び出てくるって凄い楽しいじゃないですか。ね?

そして忘れちゃいけないのがライドシステム。一つのゲームが終わるごとにトラムに乗って移動をするけれど、あれって結構移動距離が長くて、決して合理的なレールの配置ではない。合理的でないってことは、意図されているということ。あれ、移動の時にめちゃくちゃ振り回されてるんですけど、気づきました?多分、回ってるなという事は分かってもどれだけ回されてるかは意識しないはず。そんな人はYouTubeで動画を見てみてください。絶対想像以上に回されてるから。このゲームからゲームへの移動は、決して大事では無い、むしろ無駄に感じるかもしれません。でも個人的にこの長めの移動こそ、似たようなタイプのゲームを5種類連続でやっているのに決して飽きたりしない秘密だと思ってます。それに移動中は隣の人と点数を見合いっこ出来るからね。

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フリーフォールのためだけに寂れたホテルを造り、ローラーコースターのためだけに巨大な山を造るディズニー。このアトラクションではシューティングゲームのためだけに、プロップスや映像を用いておもちゃのサイズになったように感じさせるスモールライトを造ったのです。つくづく凄いなぁと思う。

さて、ここまで記事を読んでくれた人のために自分が最近知った、こういったゲーム系のアトラクションで高得点を叩き出せる方法をお教えしましょう。それは...慣れです。頑張って。