stacy's blog

ディズニーが好きな人がディズニーについて語るだけのブログ。

東京ディズニーシーへの道のり③

みんな大好き東京ディズニーシー。このパークは世界唯一の海をテーマにしたディズニーパークであり、ストーリーや世界観などがきわめて高いレベルで作られています。その東京ディズニーシーはどのようにして作られたのかという道のりを3回に分けて紹介していきたいと思います。今回はその最終回の3回目。

 

今まではアメリカのお話でしたが、舞台は日本へ。東京ディズニーランドを大成功させた運営会社のオリエンタルランドは1988年、東京ディズニーランド5周年の記者会見において、第2パークの計画を発表します。まだ当時使われていなかった埋立地を活用し、当初はディズニータウンという名の商業施設のようなものを作る計画でしたが、計画はどんどん大きくなり最終的にパークを造る計画まで発展しました。

そしてそのパークのテーマとして最初に考案されたのは映画のテーマパーク。「ディズニー・ハリウッド・スタジオ・テーマパーク」と名付けられた案は次第に固まっていくものの、オリエンタルランド側はどうも納得がいかない様子。その理由としては、映画がテーマのパークだと日本人は何度も訪れないのではないかという考え。そしてなんだかんだで、細かいところまで決まっていた映画化パークの案は白紙撤回されてしまいます。

そして新たにディズニー社とオリエンタルランドの間で考えられた案は海をテーマにした物でした。そして東京ディズニーシーは、「七つの海」という基本コンセプトを念頭に置いて造られたのですが、それはPort Disneyのディズニーシーと繋がる部分が大きいですよね。その後沢山の改良を重ねながら、たとえば本物のペンギンをパークに置くなどの案は始め出たのですが、結局のところ撤回されました。またシンボルマークを何にするかでも揉め、ディズニー社側は灯台を提案したが、オリエンタルランド側はそれを否定し、結局アクアスフィアという地球儀になった。この話はかなり有名で、よくオリエンタルランドを調べていると出てくる逸話ですが、コンセプトアートを見てみると結構この灯台も素敵ですよね。まあこれが却下された事によって要塞が造られたので結果オーライという所ですかね笑

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そして実際に造るときも苦労の連続でした。例えばアトラクションはほぼ同じ全てあたらしく開発した物だったため、イマジニア達が考えたアイデアを具現化するためのシステムなどを作るのはきわめて大変だったそう。また、東京ディズニーシーは世界の様々な地域の文化や伝統などを取り入れて造られており、メディテレーニアンハーバーなどはその集大成です。名前の通り地中海周辺の街並みを再現しているのですが、建物の時代設定を考えてそれによって建物の外装を変化させたり(ホテルミラコスタは増築に増築を重ねたという設定なので、場所によって壁の様子が全く違っています。ぜひ今度見てみてください)、ホテルミラコスタの内装も良いものをなるべく低価格で使用できるようこだわっており、それによってゲストが訪れた際に驚きと興奮を味わえるようになっています。そして結果的に建設費は3350億円ほどだったそうです。

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2001年9月4日、東京ディズニーシーのオープンの日。ディスカバリーベイから始まり、Port Disneyへ受け継がれたテーマが東京ディズニーシーとなって遂にゲストがそれを体感できるようになった瞬間でした。しかし「ディズニーランドは永遠に完成しない」とウォルトが言ったように、東京ディズニーシーも同様です。2016年には15周年を迎え、新たなるテーマポートの建造も予定されています。変わって欲しくない物もあるだろうけれど、変わり続けていくのがディズニーパークの良さの一つです。これから東京ディズニーシーはどのように変わっていくのか。楽しみですね。

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