東京ディズニーシーへの道のり

みんな大好き東京ディズニーシー。このパークは世界唯一の海をテーマにしたディズニーパークであり、ストーリーや世界観などがきわめて高いレベルで作られています。その東京ディズニーシーはどのようにして作られたのかという道のりを3回に分けて紹介していきたいと思います。

皆さんはトニー・バクスターという方を知っていますか?彼は元々パークの掃除係、つまりカストーディアルとして働いていたのですが、ある時お偉いさんに、昔作っていたローラーコースターのライドの模型を見せると、そのクオリティの高さに担当者は驚いて、採用が決まったらしいです。そしてその模型は実際にアトラクションになり、そのアトラクションは「ビックサンダーマウンテン」と呼ばれています。

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そしてそのビックサンダーマウンテンを製作中の事、またまたディズニー社のお偉いさんから「ビックサンダーマウンテンの近くにスペースがあるのだが、そこに新しいテーマランドを作ってくれないか」と尋ねられます。トニーはこれを承諾し、新しい企画が始まります。そして現在製作中のビックサンダーマウンテンと関連したストーリーのテーマランドを作りたいとしてトニーは、「この鉱山の金が本物で、そこで億万長者となった人はどのような都市を作るだろうか」という案を思いつきます。そしてストーリーがどんどんとふくらんでいったのでした...

1849年、ゴールドラッシュのピークの時、ジェイソン・チャンドラー(Jason Chandler)という人がビックサンダー地区へ移住してきました。彼は採掘機を使って沢山の金を探し出して来ました。そして今回のビックサンダー地区へと移ってきたのですが、ここの鉱山は金脈がかなり奥深くにある事が特徴で、金の近くまで採掘機を動かそうとし、地球の中心まで掘り進めてしまいました。そしてこれにより大規模な地震が起き、鉱山の中に入っていた大勢の労働者を死なせてしまいました。そして彼は、金を探すために大勢の命を犠牲にしてしまった事を反省し、これからは人々のためにお金を使おうとし、カリフォルニアに「ディスカバリーベイ」という名の都市を作ろうと決意したのでした。

そしてそのディスカバリーベイは、スチームパンクという世界観で造られています。スチームパンクとは蒸気機関など昔のテクノロジーで造られた未来の世界であり、昔の人々が想像した未来の世界なので現在の様子とは大きく違っており、レトロな雰囲気があるのが特徴です(説明下手なのは自覚してる)。

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そして題材となったのは、ジュールヴェルヌの小説を基として造られた映画である「海底2万マイル」そして「地球の頂上の島」。どちらもスチームパンクをテーマとした作品ですね。そして写真のコンセプトアートを見てみると、映画の中に登場する潜水艦や、巨大な飛行船が見て取れます。湖の中の潜水艦は、東京ディズニーシーにある潜水艦と酷似してますね。

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こうして計画されていったディスカバリーベイですが、基となる映画の「地球の頂上の島」が興行的にコケてしまったので、このディスカバリーベイ計画自体が中止されてしまいます。しかしこのディスカバリーベイの要素は他の構想に受け継がれることとなります。その名も、Port Disney。

 

ディスカバリーベイの構想から15年ほどの1991年のこと、ディスカバリーベイの要素を取り入れた新しいプロジェクト、Port Disneyが始まります。これは、カリフォルニア州ロングビーチに新しいディズニーリゾートを造るという壮大な計画で、ホテルやショッピングセンター、ディズニークルーズの港などが入った施設ですが、その目玉となるのがディズニーシーというディズニーパークです(ここから先「ディズニーシー」と「東京ディズニーシー」という言葉を使い分けます)。

このディズニーシーは、その名の通り海をテーマとしたディズニーパーク。コンセプトはウォルト・ディズニー・ワールド内にあるマジック・キングダムと、エプコットのフューチャーワールドを合わせたもので、近未来的でロマンあふれる海を体感できるパークでした。しかし埋め立てをするための資金をディズニー社が行わなければいけなくなり(東京ディズニーリゾートや香港ディズニーランドは埋め立てをディズニー社が受け持っていない)、そうした資金の問題により計画はおじゃんになってしまいました。

しかしこのパークの案は他のパークに受け継がれているものもあります。という事で、考えられていたテーマランドをそれぞれ紹介していきたいと思います。

Oceana

パークの中心に位置し、6つのガラス球が集まった形をしている。海の博物館の機能を備えており、様々なアトラクション、そして研究施設も備えるなどかなり充実したエリアです。

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Mysterious Island

ジュール・ヴェルヌの小説、海底2万マイルなどをテーマとしたテーマランド。火山の中の秘密基地をイメージしており、東京ディズニーシーにそのイメージがほぼそのまま受け継がれています。

Hero's Harbor

オデュッセウスやシンドバッドなど、古代の英雄の世界を再現したエリア。東京ディズニーシーのアラビアンコーストにシンドバッドのアトラクションがあるので関連性があると言えますね。

Fleets of Fantasy

中国やエジプトなど様々な場所、時代の船が一堂に集まり、そこで食事などが出来るエリア。若干ですが、東京ディズニーシーのアメリカンウォーターフロントと関連しているような気も。

Boardwalk Fun Fair

20世紀初頭のカリフォルニアの遊園地をテーマとしたテーマランド。ディズニー・カリフォルニア・アドベンチャーのパラダイス・ピアにテーマが受け継がれています。

Pirates Lagoon

海賊の世界をテーマとしたテーマランド。海賊がテーマののエリアは長らく実現しませんでしたが、上海ディズニーランドのトレジャーコーブによってようやく日の目を見ました。

ディズニーシーは、本当に中止になってしまったのが悲しくなるような企画ですよね。ディズニー社は1990年代前半に、Port Disney、WestCOT、Disney’s Americaなど様々なパーク案を出しますが、ディズニーランドパリを除いて全て建設されていません。

しかし全部とはいかないものの、このディズニーシーから東京ディズニーシーにいくつもの要素が受け継がれています。さらにディズニーカリフォルニアアドベンチャーと関連していたり、上海ディズニーランドとも関連していたりします。そしてジュールヴェルヌを基としたMysterious Islandなどは、ディスカバリーベイのスチームパンクのテーマから受け継がれていますよね。そしてこのディズニーシーがどのようにして変化し、東京ディズニーシーとしてオープンしたのでしょうか。

 

今まではアメリカのお話でしたが、舞台は日本へ。東京ディズニーランドを大成功させた運営会社のオリエンタルランドは1988年、東京ディズニーランド5周年の記者会見において、第2パークの計画を発表します。まだ当時使われていなかった埋立地を活用し、当初はディズニータウンという名の商業施設のようなものを作る計画でしたが、計画はどんどん大きくなり最終的にパークを造る計画まで発展しました。
そしてそのパークのテーマとして最初に考案されたのは映画のテーマパーク。「ディズニー・ハリウッド・スタジオ・テーマパーク」と名付けられた案は次第に固まっていくものの、オリエンタルランド側はどうも納得がいかない様子。その理由としては、映画がテーマのパークだと日本人は何度も訪れないのではないかという考え。そしてなんだかんだで、細かいところまで決まっていた映画化パークの案は白紙撤回されてしまいます。このオリエンタルランドの指摘はとても鋭く、東京ディズニーシーと同時期にオープンしたユニバーサル・スタジオ・ジャパンは、当初はハリウッド映画がテーマであるとしていましたが年々業績が悪化。そして日本発祥の作品、はたまたサンリオや任天堂と提携することによって業績が再び上がって行きました。つまり、日本人はハリウッド映画では満足しないという読みは大当たりだったと言えます。グッジョブ。

そして新たにディズニー社とオリエンタルランドの間で考えられた案は海をテーマにした物。そして東京ディズニーシーは、「七つの海」という基本コンセプトを念頭に置いて造られたのですが、それはPort Disneyのディズニーシーと繋がる部分が大きいですよね。その後沢山の改良を重ねながら、たとえば本物のペンギンをパークに置くなどの案は始め出たのですが、結局のところ撤回されました。またシンボルマークを何にするかでも揉め、ディズニー社側は灯台を提案したが、オリエンタルランド側はそれを否定し、結局アクアスフィアという地球儀になった。この話はかなり有名で、よくオリエンタルランドを調べていると出てくる逸話ですが、コンセプトアートを見てみると結構この灯台も素敵ですよね。

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そして実際に造るときも苦労の連続でした。例えばアトラクションはインディ・ジョーンズを除き、全て新しく開発した物だったため、イマジニア達が考えた案を具現化するためのシステムなどを作るのはきわめて大変だったそう。また、東京ディズニーシーは世界の様々な地域の文化や伝統などを取り入れて造られており、メディテレーニアンハーバーなどはその集大成です。名前の通り地中海周辺の街並みを再現しているのですが、建物の時代設定を考えてそれによって建物の外装を変化させたり(ホテルミラコスタは増築に増築を重ねたという設定なので、場所によって壁の様子が全く違っています。ぜひ今度見てみてください)、ホテルミラコスタの内装も良いものをなるべく低価格で使用できるようこだわっており、それによってゲストが訪れた際に驚きと興奮を味わえるようになっています。そして結果的に建設費は3350億円ほどだったそうです。

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2001年9月4日、東京ディズニーシーのオープンの日。ディスカバリーベイから始まり、Port Disneyへ受け継がれたテーマが東京ディズニーシーとなって遂にゲストがそれを体感できるようになった瞬間でした。しかし「ディズニーランドは永遠に完成しない」とウォルトが言ったように、東京ディズニーシーも同様です。変わって欲しくない物もあるだろうけれど、変わり続けていくのがディズニーパークの良さの一つです。これから東京ディズニーシーはどのように変わっていくのか。楽しみですね。

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